ここ数日はマジでやることが見つからず、「環境教育って何よ?」という根本的な疑問を堂々巡り繰り返している。
今日は停電もあり、余計に考える時間が長かった。
哲学者みたくグルグル考えた挙句、結局それかいというところに行きついたので心記に書き留めようと思う。
子どもの頃に参加してた「ねいちゃー探検隊」みたいな環境教育がしたい。
— あんが〜🇵🇼 (@angar_pl) 2019年12月4日
フィールドの中で見て知って驚いて学べるようなプログラム。
うちでやってる教育は一方通行でフィールドで伝える事はほとんどなく、決められた質問に答えるためのデータしか探さない。大人の自己満足って感じがするんだよなぁ
自然を大切にしたいと思う子供を増やすこと
環境教育の目標は、『未来を考える人間を増やすこと』というのが、技術補完研修で得た一つの答えだった。
でもいざ仕事を始めると、この目標は抽象的過ぎて僕のやるべきことを明確にするにはイマイチ。。。
で、いろんなことを考えた結果、見出しの通り『自然を大切にしたいと思う子供を増やすこと』という答えに行きついた。
うん、そのままですよね(笑)
だって、そういう子供が増えれば、そのうちの何人かが自然を大切にする大人になるかもしれないし、さらに何人かは自然の大切さを伝える指導者になるかもしれない。
結局、一人の力で環境をよくするなんて無理なんだから、一人でも多くの人が自然を大切にする人になるってのが一番大切なことだよねぇと思った。
インタープリテーションと配属先の環境教育の違い
で、どうしたら子供たちが自然に関心を持ってくれるんだろうって考えたとき、調べたのが「インタープリテーション」という環境教育だった。
インタープリテーションは個人の感性や体験を尊重し、単なる知識の伝達ではなく、参加者に楽しんでもらうことで興味関心を引き出す環境教育手法だ。
世界の多くの人が、環境問題が深刻だなんてことは知っている。でも知識だけでは人は動かない。
運動すれば健康になれると知っててもジムに行かないのは、健康になりたいという感情がないからだ。
森に興味がわけば、それを大切にしたいという気持ちも芽生えるかもしれない。海洋ごみの深刻さを感じたとき、海を守りたいと思うかもしれない。
そういう環境教育がしたいなぁ。
一方で、いま僕の配属先がやっている環境教育の流れはこうだ。
- クラス形式でこれから行くフィールドの知識ややることを説明
- フィールドに行ってみんなで同じことをやる
- センターに戻ってあらかじめ決められた質問(たいてい最も多かった種類の生き物は何ですか?的な)に答える
終了
最初はこれでもいいなと思ったんだけど、実際のアウトドアクラスでは、子供たちはパシャパシャ海で遊んで、先生である僕らも課題をこなすサポートしかせず、時間が余ったらあとは自由時間で大人たちは休憩。質問内容は決まっているので子供たちの発表はほとんど一緒。
子供たちは何か見つけているんだろうか?
「緑の魚がいた」以外の記憶が残るんだろうか。。。もっと知りたいと思ってくれる子供はどれくらいいるんだろうか。
結局何が悪いのか?どうしたらいいのか?
ここが大切なんだけど、イマイチしっかり答えが見つからない。
とりあえず、もっと子供の自由があっていいし、疑問に思ってもらいたいし、発表も多種多様がいい。
知ってほしいのは魚の種類じゃないし、僕らが知りたいのも数を数えるみたいなつまらない答えじゃないし。
少なくとも課題は全然違うもののほうがいいな。。
このあとなんで自分が自然を好きになったのかとか、インタープリテーションのことをどうやって同僚に伝えようとかいろいろ書こうとしたけど、長くなったので今日はもうやめ。
またなんかまとまったときに書き留めよう。