パラオの星空ツアーに参加してきた。
雲ひとつない空に浮かぶ満点の星空は、すごく遠いはずなのに、怖いほど近く、吸い込まれそうで圧倒された。
ツアーガイドさんは日本人で、とんでもないほど話が面白かった。
車の中で話を聴くと、車内がプラネタリウムになったみたいだった。
詳細はまた普通の記事で書こうと思うけど、いまは僕の頭の中に落ちた隕石みたいな一言について書き留めたい。
その一言とは、
『環境保護も人間のエゴ』
これはガイドさんが言った言葉ではないかもしれない。よく覚えてない。
耳で聞いたのか、自分で思いついたのか、、
とにかく、僕の脳みそに処理しきれない情報として、残り続けた。
環境保護が人間のエゴ??
僕らは地球を守ろうとしているのに?!
この言葉が引っかかる直前の話ははっきりと覚えている。
「環境保護っていうのは『人間にとって都合のいい環境を守りましょう』っていうこと」
言っておくと、このガイドさんは、アンチエコロジストな訳ではない。
地球の歴史を冷静に紐解いた結果として、環境保護は人間のためという話になっただけ。
ガイドさんの話では、46億年の歴史の中で、地球は5回も大量絶滅を経験してきた。
最後の大量絶滅は6500万年前、1億年以上続いた恐竜を絶滅させた隕石は、その後、永い永い氷河期をもたらし、80%の生物種が絶滅した(そのおかげで、僕らは誕生することができた)
これは隕石による、とんでもない環境破壊だ。
そんな経験をしても、数千万年も経てば地球上には豊かで生命に溢れた環境は回復する。
つまり、環境保護をして僕らが守りたいのは、人間にとって美しく、住みやすく、安全で心地いい環境だっていうだけだ。
この辺で、『僕の頭に環境問題も人間のエゴ』という言葉が脳裏に焼き付いた。
豊かになりたくて木を切る人も、利益のためにリゾート開発をする会社も、砂浜でゴミ拾いをする人も、環境保全活動をする少女も、結局はみんな、ニンゲンのために働いてる。
もし目の前に、自分の理想とする環境を邪魔するものがあれば、それを排除するために全力を注ぐ。
それがゴミなのか、森なのかの違い。
自分は外来種を駆除して、環境を守ったと言っている。
でもそれは、理想とする自然を再生するためのエゴだ。
外来種の草むらに住んでたトカゲとか、アリとかたくさんの住みかを破壊した。
ゴミを拾って綺麗になったと喜ぶのは人間だ。
ストローを紙に変えて、喜ぶのも人間だ。
環境は変化し、生き物は適応するものなのに、それを止めようとしているのが人間だ。
自分たちのせいで環境が壊れる責任感から逃れたいが為の環境保護だ。
数秒の間、こんなことが頭の中で膨れ上がってパニックだった。
自分の中で正義と悪に分かれてたものが、突然ごちゃまぜになった感じ。
自分が信じてたものを見失った感じ。
そんな頭の中を見透かしたかのように、ガイドさんが最後の話を加えてくれた。
でもね、何万、何億年という単位で流れてる地球の時間に対して、人間1人に与えられた時間がたった100年なんです。
短すぎるでしょ?
だから、好きなことをすればいいんです。
好きなことを信じて頑張って、死ぬときに幸せだったなと思えるなら、それでいいんです。
文字にするとありふれた自己啓発本みたいw
でも、おかげでスッと答えを出すことができた。
自分は自分のエコを信じよう。せいぜい、ひ孫くらいの世代が気持ちよく感動できる環境を守ろう。
でも違うエコを持っている人もいれば、違う何かを大切にしている人がいることも理解しよう。
宇宙のこと、地球のことを想像するのはとてもロマンだけど、僕という人間には少しスケールが大きすぎるらしい。