こんにちは。アンガーと申します。
青年海外協力隊2019年1次隊として、大洋州はパラオへの赴任を予定しています。
現在社会人4年目、29歳(平成元年生)アラサーの僕が青年海外協力隊を目指したきっかけや、不安(帰ったらover30)、理想と現実などを垂れ流しつつ、
たまには夢を抱えるアラサーの方々、協力隊志望の青年達に役立つブログが作れたらなぁ、と思っています。
ブログって久しぶりだなぁ。なに書けばいいんだっけ。。。
続いた試しもないんですがww
とりあえず、リハビリを兼ねてこれまでの経歴なんか書いておきましょう。
変人アンガーの履歴
自分は生まれた時から自然が好きで、小さい頃から山を歩いたり川で遊んだり、通学路では手当たり次第に道端の石をひっくり返して生き物を探すという、よくいる元気な子供でした。(今もあんまり変わってない)
環境問題に敏感で、趣味はゴミ拾い。将来の夢は街中で空き缶を拾っている人(大人の世界ではホームレスと呼びます)でした。
ゴミを拾って環境を守りつつ、お金がもらえるなんてスゴイ!!って感じたんでしょうね。。。
やがて歳をとり、背が伸び、進学をしても変わらず、自然と生き物が好きでした。
大学は地元の農学部、さらに大学院へ
大学は地元で自然環境を勉強できるということで、一浪の末、名古屋大学に進学。農学部で環境問題や生態系に関する勉強を広く浅く学びました。
学部の友達にインドネシア旅行に誘われたことで、初海外進出を果たし、そのままインドネシアにどハマり。社会に出てからも何度か行っています。
4年生の時に海外にいって調査ができる最高の研究室と出会い、大学院に進学。熱帯雨林を研究対象にしてたので、東南アジアと日本を行き来しながらの研究生活を過ごすことに。
ここでなんとなく、「将来は環境関係か国際関係の仕事がしたいなぁ」なんて思い始めます。
25歳で就職。営業職ってなんじゃろ
研究は楽しかったのですが、これで飯が食える自信もなく、世間知らずな自分の世界を広げたい気持ちもあって就活をしました。
先輩や同期は公務員になって行政に入る人が多かったんですが、環境問題とビジネスの切っても切れない関係を感じていたので、社会に出て営業職を目指すことになります。
まぁこの時点で営業職とはなんたるやを全く想像できていなかったなぁと、いまになって反省しておりますが。。。
ご縁があって、ベンチャー色の強い今の会社に入社。上京して社会人1年目をスタートさせました。
ここで始めて自分のコミュニケーション能力の低さに直面することに。25歳で、人生初の衝撃でした。
相手の気持ちがわからない、求めてるものが違う、上司に相談とかなんか申し訳ないし、何話していいかわかんない。。。
俗に言うホウレンソウができない社員だったため、何度上長を連れて謝罪に行ったかわかりません。当時の上司には全く頭が上がらない思いでありますですはぃ。。。
問題児、北の大地へ
1年目が終わる頃、来期に向けた上長面談で衝撃の事実を告げられます。
「おまえ、来年東京いないぞ。。。」
正直「ヤッターーーーーーーーーーー」っていう感じ。大都会は肌に合わなくてしんどい1年でしたからね。
しかし、まさか北海道とは。
縁もゆかりもない土地、しかもたった一人で勤務することに……
2年目のペーペー。まだわからない事も多いなか、グループ会社の人やお客様、北海道でできた友人たちのおかげで、結構楽しく過ごさせていただきました。
いざ、青年海外協力隊へ
さて、そんな僕が青年海外協力隊に興味を持ち、応募したのかってとこですが、ここまで書いてだいぶ時間をくってしまったので、それはまた次回にしようと思います。
こんな記事を最後読んでくれて(いないかもしれませんが)、ありがとうこざいましたm(_ _)m